相模台城(千葉県)
こんにちは〜!
国府台合戦を巡る旅、第三弾は相模台城です!
第一次国府台合戦で小弓公方の足利義明と義純が陣を構えたお城で、今の松戸駅の目の前にある小高い丘がお城の跡地です🏯!
このお城は鎌倉時代の建長元年(1249)に房総三国の守護となった北条長時が建てたとされております!
その後北条高時の居城になったとも言われております。
戦国時代の最初の方、後北条氏二代目当主の北条氏綱と小弓公方の足利義明が激戦を繰り広げました。
最初は優勢だった足利軍も北条軍の数と猛攻にあい、遂には足利義明と義純も討死してしまいます。
その後、小金城の支配下になりましたが、いつ廃城になったかは定かではありません。
相模台城は近世になると競馬場、陸軍学校を経て今は公園や大学や小学校、裁判所等が建っております。
近くのコインパーキングに車を止めて登りましたが、陸軍時代の遺構と倉庫がそのまま残されておりました。
頂上は開発されており、大きな公園や大学、裁判所や団地があります。
陸軍時代の門柱もそのまま残っております。
正直遺構らしい物は見当たりませんが、この地形を見ただけでかなりの人数が立てこもる事ができたであろうと思います。
裁判所の近くには土塁が残されております。
すぐ横の道路になっている切通は堀の跡と言われているそうです。
この坂を降りてすぐ左手にある階段を登ると別の公園にたどり着くことができます。
その道中には腰曲輪的な平場を確認できます。
公園にたどり着くと、大きな土塁に囲われた曲輪が出てきます🙌!
ここは相模台城の1番南側、出丸かと思います。
わずかに台形の窪みがある所がこの曲輪です。
ここから目と鼻の先に北条軍が陣を構えた松戸城がありますので、恐らくこの辺りが最激戦地になったと思われます。
ちなみに里見軍が陣を構えた国府台城は松戸城の南側にあるので、北条軍は里見軍と足利軍を分断し、標的である足利軍を孤立させここで仕留めたのかと思います。
次は里見軍と北条軍の激戦地を紹介できたらと思います。
ではでは!